大地の素肌を現す
土のミュージアムSHIDO 〒656-1521
兵庫県淡路市多賀2150

入館料 500円 休館日 火・水 開館時間
平日13:00-17:00、土日祝10:00-18:00

葦原国花 杉謙太郎花会

開催日 2025年04月26日 ~ 2025年03月26日

営業時間 平日13:00-17:00、土日祝10:00-18:00

休館日 火・水

入館料 500円

葦原国花 アシハラクニノハナ​ 古事記日本初期などの神話に、日本の国土を葦原国(あしはらのくに)と表記があるのは、日本が島国であり、湿地帯の広がるクニの始まりがあったからで、人類が海を泳ぐ動物であった時代から、徐々に浅瀬域で生息する事を可能にしたのも、葦という植物のおかげであり、両生類として徐々に陸へと歩みを進めた。やがて陸へ上がり、洞窟などに身を寄せるようになり、穴を自ら堀り、屋根をのせるのに使用した素材も、水に強いイネ科の植物であった。 淡路島のイザナギとイザナミの国の始まりを伝える神話に登場する「葦原国」の葦とは、人類が生息するための場、雨風をしのぐための重要な道具だった。その植物が一面を覆った葦原は、他の植物はあまり繁茂しないために、名の通り「葦原」となる。葦は哲学するという話もある。 「パンセ(pensée)」はフランス語で「思考」の意味である。 有名な、パスカルの著書でもあり、それを引用すると「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」 — パスカル『パンセ』前田陽一、由木康訳、中公文庫ー ここには単なる植物ではなく、葦には特別の情が有ると表現されている。 「考える」事ができるのは、人間だけだという事だが、葦のように一群を為し、どこまでも広がる葦原はただの一本の、か弱い草ではなく、哲学する集団なのだということになる。 同じように日本人は、情を持たないはずの草木に、情が有るのだと考えてきた。 国土の始まりに群生していたからだけではなく、イネ科植物の葦にはまるで思考する力があるように見受けられた。色のない漠々とした景色「葦原国」には、目に見えない美しい内面世界が広がっている。 淡路島の建築家安藤忠雄氏の設計でガラス張りの日本最大級の温室には、世界中から集められた植物達が生育している。ここが今回の花会会場となる。 植物には足はない、だから一人でここに歩いてやってきたのではなく、人間が運ばされたという事になる。 植物達が思考をしている。その考える草のために人間が動いているのは、目には見えない草の思考によるもので、温室の空間はさながら哲学者達の集う神殿のようにも感じる。 私は、哲学の神殿に祭壇を設ける。その白い祭壇の上に、花を産みだす。 花は、一度斬られたために命を落としたものであるが、この祭壇の上において「ヨミガエル」黄泉帰ヨミジガエリ、つまり蘇生する。 そのことが、花の原義である。 花とは、息という光を見つける事であり、または崎の先という未来を目指すことでもある。その事で、今という瞬間から未来へ向けて、瞬間を機に発動し、有機的な流動が始まる。  この植物の温室の空間全体が思考を始め、未来へ向けて、動きだすその最初の一点に、花を付けたいと考えている。 杉謙太郎